支援者の「良い支援」についての再考

前回の記事では、失敗を避けることだけが良い支援ではなく、本人が経験から次の選択をつくれるように支えることも大切なのではないか、という話を書きました。本人が挑戦するのを待つ。企業と調整する。うまくいかなかった経験を一緒に振り返る。そうした仕事は、就労支援では日常的に行われています。

でも、ここで少し視点を変えてみたいと思います。これまでの記事では、「本人にどんな変化が起きたのか」を中心に考えてきました。では、その変化を支える側である私たち支援者は、何をもって「良い支援をした」と言えるのでしょうか。

支援者の仕事は、数字にしにくい

支援者の仕事を数字で表そうとすると、比較的分かりやすいものがあります。面談を何件行ったか。企業を何社訪問したか。実習を何件調整したか。何人を就職につなげたか。もちろん、こうした数字は大切です。何も活動していないのに「良い支援をしています」と言うことはできませんし、組織として仕事量を把握する必要もあります。

ただ、支援の現場を考えると、それだけではどうしても拾えないものがあります。

10分の雑談が、大きな意味を持つこともある

例えば、ある利用者と支援者が10分ほど雑談をしたとします。記録だけを見れば「雑談」です。でも、その会話の中で本人がぽろっと「実は最近、会社に行くのが怖いんです」と話したとしたらどうでしょう。そこから職場で起きていることが分かり、企業と調整することで退職を防げるかもしれません。

あるいは、支援者が企業へ一本電話をしただけで、本人が困っていた仕事の進め方が大きく変わることもあります。反対に、本人が自分で考えようとしているときには、あえて支援者が答えを言わない方がよいこともあります。**何かを「した」ことだけでなく、何をしなかったのかにも、支援者の判断が含まれている。**これが対人援助の仕事を評価しにくくしている理由の一つだと思います。

同じ行動でも、良い支援にも悪い支援にもなる

例えば「企業へ連絡する」という支援があります。本人が一人では伝えにくいことを整理し、本人の了解を得たうえで伝えるのであれば、大切な支援になるでしょう。一方で、本人が自分で伝えようとしているのに、支援者が何でも先回りして連絡してしまえば、本人が経験する機会を奪うことにもなります。

つまり、支援者の仕事は「何をしたか」だけでは評価できません。**なぜそれをしたのか、その結果どうなったのかまで見なければならない。**ここでも、第2回で書いた「支援を何回行ったか」と「その支援によって何が起きたか」は別の話だ、というところに戻ってきます。

支援者には、かなり大きな自由がある

就労支援の仕事は、決められた手順だけで進むものではありません。本人の状態も違う。働きたい仕事も違う。企業の状況も違う。だから支援者は、その都度考えながら動きます。今日は本人とじっくり話す。明日は企業へ行く。本人が求人を探したいと言えば一緒に探し、少し距離を置いた方がよいと思えば待つ。

私たちの事業所でも、ケースワーカーたちはかなり自由に動いています。一日中外を回っている人もいれば、企業へ電話をしている人もいる。利用者と長く話していることもあれば、何となく雑談しているように見えることもあります。外から見ると「いったい今日は何をしていたんだろう」と思うことすらあります。でも、その自由さがあるからこそ、その人に合わせた支援ができるのも事実です。

自由であることと、何でもありは違う

ただ、ここには組織として難しい問題があります。「個別支援だから」「ケースによって違うから」と言い続ければ、ほとんど何でも説明できてしまいます。Aさんは積極的に企業へ働きかける。Bさんは本人が動くまで待つ。それぞれに理由があるのかもしれませんが、支援者によって判断が大きく違いすぎれば、利用者が誰に担当されるかによって支援の方向そのものが変わってしまいます。

それでは、組織として支援しているとは言いにくくなります。だから、**「個別支援だから評価できない」というだけでは足りない。**個別性を大切にしながらも、私たちが何を「良い支援」と考えるのかについて、ある程度の共通認識が必要になります。

支援の方法ではなく、「考え方」を共有する

では、全員が同じ支援をすればよいのでしょうか。それも違うと思います。全員が毎週1回面談する。全員が月に3社企業訪問する。そうやって行動を統一すれば管理はしやすくなりますが、それでは個別支援から離れてしまいます。

必要なのは、支援方法そのものを統一することではなく、なぜその支援をするのかという判断の土台を共有することではないでしょうか。例えば、本人が何を望んでいるのか。その支援は本人の目標とつながっているのか。本人にどんな変化が起きているのか。支援者が先回りしすぎていないか。逆に、必要な支援を「本人の自己決定だから」と放置していないか。今の支援を続ける理由を説明できるか。こうした問いを支援者同士で共有する。支援方法は違っても、判断するときに見ているものが共通していれば、支援者の自由を残しながら組織としての支援もつくれるように思います。

「うまくいったケース」だけでは支援者を評価できない

もう一つ難しいのは、利用者の結果だけで支援者を評価することです。就職者が多い支援者が優秀。定着率が高い支援者が優秀。確かに、一つの見方ではあります。でも、支援する人によって出発点は違います。すぐに就職できそうな人を多く担当している支援者と、長く引きこもっていた人や何度も離職してきた人を多く担当している支援者では、単純に就職者数を比べることはできません。

そして、結果そのものが本人の選択によって変わるのも、この仕事の特徴です。支援者が丁寧に支援しても、本人が「今は働かない」と決めることがあります。だから、支援者が良い仕事をしたことと、利用者が分かりやすい成果を出したことは、必ずしも同じではありません。

良い支援者は、答えを持っている人なのか

支援者という仕事をしていると、つい「正しい答え」を出したくなります。この人にはこの仕事が合う。今はまだ就職しない方がいい。でも、本当にそうでしょうか。人は実際にやってみて変わることがあります。失敗から学ぶこともあります。本人自身も、経験するまで自分に何が合うのか分からないことがあります。

だとすれば、良い支援者とは、すべての答えを知っている人ではないのかもしれません。本人と一緒に考える。必要な情報を集める。選択肢をつくる。挑戦するときには支える。うまくいかなければ一緒に振り返る。そして、ときには何もしないで待つ。良い支援とは、支援者が正解へ導くことではなく、本人が自分で次の選択をつくれるようにすることなのかもしれません。

支援者の自由を守るために、共通する根拠がいる

ここまで考えると、少し矛盾したようなところに行き着きます。就労支援では一人ひとりに合わせて柔軟に動く必要があるから、支援者にはある程度の自由が必要です。でも、自由だけでは組織として支援の質を保てません。一方で、ルールを細かく決めすぎれば、今度は個別支援ができなくなります。この間をどうつくるか。私たち自身も、日々悩んでいるところです。

今のところ一つ言えるとすれば、**自由でなければ良い支援はできない。でも、自由であるためには、共通する根拠が必要になる。**ということなのだと思います。その根拠は、面談件数や訪問件数だけではありません。本人が何を望んでいるのか。その支援によって何が変わったのか。なぜ今、その支援をしているのか。支援者自身がそれを説明でき、チームで話し合えること。そうしたものが、支援者の自由と組織としての支援をつなぐのかもしれません。

結局、「良い支援」とは何なのだろう

9月の記事では、在宅支援の制度変更から始まりました。そこから、通所することは成果なのか。就職できる人ばかりを支援していないか。時間のかかる支援をどう見るのか。準備ができてから働く必要があるのか。失敗しないことは良い支援なのか。いくつもの問いを考えてきました。そして今回、支援者の仕事を考えてみても、やはり簡単な数字だけでは答えが出ません。

では、就労支援全体として、何をもって「うまくいった」と考えればよいのでしょうか。次回はいよいよ最後です。「就労支援は、何をもって『うまくいった』とするのか」——これまで考えてきたことを振り返りながら、9月の最後の問いについて考えてみたいと思います。