「できるようになった」の表裏
「できた」は、分かりやすい
10月は「訓練」について考えてきました。訓練という言葉から最初に思い浮かべたのは、それまでできなかったことが、できるようになることでした。
- 毎日通えるようになった
- 人に質問できるようになった
- 長い時間作業できるようになった
- 人と話せるようになった
- ストレスがかかる場面でも仕事を続けられるようになった
こうした変化は、とても分かりやすいものです。支援する側から見ても、「以前はできなかったけれど、今はできるようになった」と確認できます。
もちろん、できることが増えるのは大切なことです。本人ができるようになりたいと思っていたことなら、なおさら嬉しい変化でしょう。
でも今回は、少し意地の悪い問いを立ててみます。
「できるようになった」のであれば、それはいつでも良い変化なのでしょうか。
毎日通えるようになった
たとえば、最初は週に3日ほど通っていた人が、少しずつ利用日を増やして、毎日通えるようになったとします。遅刻も欠席もありません。外から見れば、とても順調です。
「体力がついてきましたね」「生活リズムが安定しましたね」「働く準備が整ってきましたね」——と評価したくなります。
でも、その人が家に帰ると、毎日ぐったりして何もできなくなっていたらどうでしょう。
- 夕食も十分に取れず、そのまま眠ってしまう
- 休日はほとんど寝て過ごしている
- 朝になると、かなり無理をして家を出ている
それでも本人は休まず通っています。確かに、「毎日通うこと」はできるようになりました。でも、これを単純に「能力が上がった」と考えてよいのかは、少し分からなくなります。
人と話せるようになった
コミュニケーションでも同じことがあります。以前はグループの中でほとんど話さなかった人が、少しずつ周囲に合わせて会話できるようになった。
- 相手の表情を見ながら話す
- 雑談に参加する
- 場の雰囲気に合わせて相づちを打つ
- 自分から話しかける
外から見れば、「コミュニケーションが上手になった」と見えるかもしれません。本人自身も、経験を重ねる中で、本当に使える方法を身につけたのかもしれません。
一方で、ひょっとすると、「こう振る舞わなければいけない」と考えて、一生懸命周囲に合わせている場合もあります。その場では問題なく過ごしているように見えても、終わったあとにひどく疲れているかもしれません。
外から見える姿だけでは、その違いはなかなか分かりません。
「困らなくなった」のか、「困っていると言わなくなった」のか
さらに難しいこともあります。以前は、仕事が分からなくなるとすぐにスタッフへ相談していた人が、あまり相談しなくなった。外から見ると、「自分で考えられるようになった」「一人で対応できるようになった」と評価できるかもしれません。
でも実際には、
- 「何度も聞いたら迷惑かもしれない」
- 「こんなことも分からないと思われたくない」
- 「自分でできるようにならないと就職できない」
と思って、相談することを我慢している可能性もあります。
つまり、「困らなくなったこと」と、「困っていることを表に出さなくなったこと」は違います。
ところが、外から見える行動だけでは、どちらも同じように見えることがあります。
「できる」の中身はいろいろある
ここまで考えてみると、一口に「できるようになった」といっても、その中身はいろいろありそうです。
- 練習によって、本当に楽にできるようになった
- 経験を重ねて、やり方が分かった
- 自分に合った方法を見つけた
- 周囲の環境が変わって、できるようになった
- まだ大変だけれど、頑張ればできるようになった
- 無理をして、できているように見せられるようになった
どれも外から見れば「できた」です。でも、本人の体験はかなり違います。
だから、支援の中で「できるようになった」という変化を見るときには、もう一歩だけ中身を見てみる必要がありそうです。
「どのくらいの負担でできているのか」
第5回では、ストレスについて考えながら、「できているか」だけではなく、「どのくらいの負担で、それをできているのか」を見る必要があるという話をしました。
これは、いろいろな場面に当てはまりそうです。
8時間働ける。毎日通える。人と話せる。急な予定変更にも対応できる。困ったことがあっても自分で解決できる。それ自体は大切な情報です。
でも、
- それをしたあと、どのくらい疲れているのか
- 次の日にも同じことができるのか
- 家に帰ったあとも生活できているのか
- それを続けるために、どのくらい頑張っているのか
- 本人自身は、その状態をどう感じているのか
そこまで見て初めて、「できるようになった」という変化の意味が少し分かってくるのかもしれません。
本人が「できるようになりたい」と思っているのか
もう一つ、大切なことがあります。その「できるようになったこと」は、そもそも本人ができるようになりたいと思っていたことなのでしょうか。
雑談が上手になる。人前で話せるようになる。長い時間働けるようになる。大勢の人と一緒に仕事ができるようになる。もちろん、それを望む人もいます。
一方で、
- 「雑談は苦手なままでもいいから、必要なことを伝えられるようになりたい」
- 「長時間働くより、短い時間でも安定して働きたい」
- 「大勢の人と働けるようになるより、一人で集中できる仕事を探したい」
と考える人もいるでしょう。
だとすると、支援する側が考える「できた方がいいこと」と、本人が望んでいる変化が同じなのかも、考えておく必要があります。
「できる人」に近づけることが訓練なのだろうか
ここで、また「訓練」に戻ってみます。訓練によってできることが増える。それ自体には、もちろん意味があります。
でも、「できることを増やす」ことだけを目標にすると、いつの間にか——毎日通える人。コミュニケーションが上手な人。ストレスに強い人。長時間働ける人。周囲に合わせられる人。——そんな「働ける人の姿」に、本人を近づけることが訓練になってしまうかもしれません。
でも実際の人は、それぞれ違います。
- 苦手なことが少しできるようになることで働きやすくなる人もいる
- 苦手なことを無理に変えるより、得意なことを生かした方がいい人もいる
- 環境が変われば、そもそも困らなくなる人もいる
「できるようになる」以外にも、働きやすくなる方法はあります。
まとめ:「できた」の向こう側を見る
「できるようになった」ことは、大切な変化です。だから、それを否定する必要はありません。
ただ、「できた」という結果だけでは分からないことがあります。
- どんな方法でできるようになったのか
- どのくらいの負担でできているのか
- それを続けられるのか
- 本人はその変化をどう感じているのか
- そもそも本人が望んでいた変化なのか
そんなことまで一緒に見ていくと、「できた」「できない」だけでは捉えられなかった、その人の変化が見えてくるのかもしれません。
そして、ここまで考えてくると、また一つ疑問が出てきます。通えるようになる。コミュニケーションが上手になる。ストレスに対処できるようになる。これまで私たちは、「本人がどう変わるのか」を中心に考えてきました。でも、本当に変わる必要があるのは、いつも本人なのでしょうか。
次回予告
次回は、「変わるのは、本人だけなの?」というところから考えてみたいと思います。
本人が職場に合わせるだけではなく、仕事のやり方や周囲の関わり方、職場の環境が変わることで働けることもあります。「訓練」を考える話も、だいぶ最初とは違うところまで来ました。